2013年5月8日水曜日

山際 晃 【【明治開化期の日本と朝鮮(10):『朝鮮は文化の国???』】】

山際 晃
【【明治開化期の日本と朝鮮(10):『朝鮮は文化の国???』】】
 書画については、統治時代に出版された『李王家博物館所蔵品写真帖 1912年 李王植蔵版』の改訂版絵画之部(昭和8(1933)年出版)の序文に李王職事務官 末松熊彦(すえまつ くまひこ)が次のような文を寄せている。
 『本書は・・・今回又これが改版に際し、挿図(そうず)の過半を差し替え、もって大いにその面目を改めんことを期したりしが、いかんせん朝鮮絵画には名画と称せらるべきもの、現存せるもの殆(ほとん)ど “無く” 、ために吾人(ごじん:私)の計画を満足せしめ得ざるに至れり。
 もっとも300年以上遡(さかのぼ)れば相当名筆多かりしが如きも、その以下にありては概して言うに足らざるもの多し。
 且つ李朝に至り朋党(ほうとう:官僚が私的に結合すること)相競(あいきそ)い、政権の争奪と苛斂誅求(かれん ちゅうきゅう:情け容赦もなく税金などを取り立てること)は生活の不安定を来し、美術の尚 好心を喪失せしめ、又 “儒教主義” の “徹底” は美術の根本たる絵画の描出者すなわち丹青家(たんせいか:画家)を “蔑視” (べっし)し、 “古美術” の “保存” の如きは時人 “考慮” の “外” にして之を “捨つる” 事、弊履(へいり:破れたはき物)の如かりし(破れた履物を捨てるように、何の未練もなく捨て去ることのたとえ)。したがって、朝鮮には古名画の現存するの甚だ寥々(りょうりょう)たるの現況に陥(おちい)りしは、また止むを得ざることに属す。
...  今仮に本館に収蔵せるものと総督府博物館に所蔵のものとを除けば、朝鮮には朝鮮画の絵画らしき “絵画なし” と言うも過言にあらず。しかも、本館所蔵のものといえども名画甚だ少なく、ために本書に於いても優良なる朝鮮画の多数を紹介するを得ざるは甚だ遺憾とするところなり。
 しかれども、凡そ世界各民族特有の美術的価値なるものは、畢竟(ひっきょう:結局)その郷土色にありと言うべし。されば、一般的には朝鮮絵画は貧弱、鑑(かんが)みるに足らずとして排斥せらるるの風あるも、朝鮮画には又他民族の想到(そうとう:考えた結果その事に行き着くこと)し得ざりし、幾多独特の長所あるを看過(かんか)すべからず。
 特に近代に於ける朝鮮画は枯萎(こい:枯れてしおれること)凋落(ちょうらく: 花や葉がしぼんで落ちること)の極みにあるをもって之を昔日(せきじつ)の芸術と比較する時は遺憾極まりなきもあるも、奪う可(べ)らざるその郷土色に到りては他山(たざん)の石(いし)をもって我が玉を磨く(他人の誤った言行でも自分の修養の助けとなるということ)に足るべきものあり。依りて本書は朝鮮独特のその郷土色を味わい、その趣致(しゅち:おもむき)を究ける上において相当有力なる参考資料として必ずや負う所多かるべきを信じて疑わざるなり。』
◆【明治開化期の日本と朝鮮(10)】『朝鮮は文化の国???』: http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi021.html#10mkc7

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