●『桜姫東文章』(さくらひめあずまぶんしょう)
★『桜姫東文章』(さくらひめあずまぶんしょう)http://p.tl/35q6
歌舞伎の演目で清玄桜姫物および隅田川物のひとつ。七幕九場、四代目鶴屋南北の作。
文化14年(1817年)3月、江戸河原崎座にて初演。
・初演時の構成 http://p.tl/wiN2
発端 江の島児が淵の場
序幕 新清水の場・桜谷草庵の場
二幕目 稲瀬川の場
三幕目 押上植木屋の場・郡治兵衛内の場(初演以降、この三幕目は上演されたことがない)
四幕目 三囲堤の場
五幕目 岩淵庵室の場
六幕目 山の宿町の場(このあと返し幕で三社祭の場となるが、場面は雷門ではなかった)
※なおこのあと更に大切として、五節句の所作事が演じられた。
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★清玄桜姫物(せいげんさくらひめもの) http://p.tl/tK4r
歌舞伎の芝居における世界のひとつ。京都清水寺の僧清玄が高貴の姫君桜姫に恋慕して最後には殺されるが、その死霊がなおも桜姫の前に現れるという内容。
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★隅田川物(すみだがわもの)http://p.tl/MMdv
人形浄瑠璃や歌舞伎における世界のひとつ。能の『隅田川』を原点とする梅若伝説を扱ったものをいう。
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★文楽(ぶんらく)(人形浄瑠璃から転送)
本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を指す代名詞である。文楽座の始まりは、淡路仮屋の初世植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という演芸小屋を大坂高津橋南詰(大阪府大阪市中央区)に建てて、興行したのが始まりとされる。文楽成立以前の人形浄瑠璃については、浄瑠璃も参照のこと。
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★浄瑠璃(じょうるり)http://p.tl/K0ch
三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲である。
詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的である。
浄瑠璃の流派は、現在義太夫節・常磐津節・清元節など全部で8流派である。
なお義太夫節では同一の丸本が、丸本歌舞伎狂言に用いられる場合と、人形浄瑠璃における場合とでは、微妙に間合いが異なることとなる[1]。
地方によっては、「浄瑠璃」という語が、浄瑠璃8流派の代表たる義太夫節のことのみを指す場合があるが、「若干の浄瑠璃は義太夫節ではない」という命題が論理学上正しい。
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★桂 文楽(かつら ぶんらく)http://p.tl/u1hI
落語家の名跡。4代目(デコデコ)と8代目(黒門町)が特に有名である。当代は9代目。
旧字体は桂文樂。
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★四代目 鶴屋 南北 http://p.tl/tgbx(よだいめ つるや なんぼく、宝暦5年(1755年) - 文政12年11月27日(1829年12月22日))
江戸時代後期に活躍した歌舞伎狂言の作者。
鶴屋南北を襲名した者は5名を数えるが、単に鶴屋南北または南北というと、通常はこの四代目のことをさす。また5代の南北のなかでもその業績が突出しているため、この四代目のことを特に大南北(おお なんぼく)ともいう。
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★歌舞伎(かぶき)http://p.tl/Ist3
日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定)。ユネスコの無形文化遺産(2009年9月登録)。
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★江戸三座(えど さんざ)(河原崎座から転送)http://p.tl/xKJo
江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋。官許三座(かんきょ さんざ)、公許三座(こうきょ さんざ)、また単に三座(さんざ)ともいう。江戸には当初数多くの芝居小屋があったが、次第に整理されて四座になり、最終的に三座となった。
三座は江戸時代を通じて日本独自の伝統芸能である歌舞伎を醸成、明治以降も歌舞伎の殿堂として大正末年頃まで日本の演劇界を牽引した。
★木挽町 http://p.tl/Kcvk
寛永19年(1642年)、山村小兵衛という者が木挽町四丁目(こびきちょう、現在の中央区銀座4丁目の昭和通りの東側)に櫓をあげ、これを山村座(やまむらざ)といった。
続いて慶安元年(1648年)には筑前の狂言作者・初代河原崎権之助が木挽町五丁目(現在の銀座5丁目の昭和通りの東側)に櫓をあげ、これを河原崎座(かわらさきざ)といった。
さらに万治3年(1660年)には摂津の人で「うなぎ太郎兵衛」と呼ばれた森田太郎兵衛がやはり木挽町五丁目に櫓をあげ、これを森田座(もりたざ)といった。
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★道頓堀五座 http://p.tl/n1oz
戎橋南詰から東側にかつて存在した浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座の五つの劇場のことで、1653年(承応2年)に芝居名代5株が公認されたことに始まる。「五つ櫓」とも言う。道頓堀を代表する劇場群で、近代に至るまで、歌舞伎や仁輪加(軽演劇)、人形浄瑠璃などが賑々しく興行された。そして若衆茶屋といわれる陰間(少年)たちが男色を売る茶屋も集まっていた。
・道頓堀(どうとんぼり)http://p.tl/n1oz
大阪府大阪市中央区の地域名および町名。または、同所を流れる道頓堀川の略称。
一部で「とんぼり」と略称される事もあるが定着しておらず、地元では略さずに「どうとんぼり」と表現している。(なお、かつては「どとんぼり」、「どとんほり」と呼ばれていたとする出典もある。)
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