台湾人の楊 素秋さんの著書「日本人はとても素敵だった」転載
Takeo Hiranuma Supporters /平沼赳夫氏をサポートする会
台湾人の楊 素秋さんの著書「日本人はとても素敵だった」からの引用文です。
(素敵だったと過去形であることに
日本人は昔の日本人に謝らなくてはいけない気がします。)
この本、死ぬまでに絶対に1度は読んでください。
近況アップデート作成者: Takeo Hiranuma Supporters /平沼赳夫氏をサポートする会さん
台湾人の楊 素秋さんの著書「日本人はとても素敵だった」からの引用文です。
(素敵だったと過去形であることに
日本人は昔の日本人に謝らなくてはいけない気がします。)
この本、死ぬまでに絶対に1度は読んでください。
楊 素秋さんは著書の中で
「ひと言で言うと、日本時代は、私にとってパラダイスでした。
良いことだらけで何から話してよいか分からない、と言って信じてもらえるでしょうか」
と言っています。
日本のイメージを壊さないように、
今いる僕たち日本人も頑張らなくてはいけませんね。
この本の(はじめに)という項目で次のように書いています。
(前略)
「今の日本の若者は、他国から統治されたことがなく、裕福で平和な国土で、幸せという座布団にあぐらをかいて過ごしてきたため、これが当たり前だと思っているのではないでしょうか。
でも、幸せは大切にしなければいけません。
なぜなら幸せは、国が立派であって初めて得ることが出来るものだからです。
国が立派でも、国民の一人一人が立派でなければ、いずれ国は滅びてしまいます。
ですから、若い人たちに呼びかけたいのです。
日本の若者よ、背筋をシャンとしてお立ちなさい。
そして自信と誇りをもって前に進みなさい!
私は日本を心の故郷と思っています。
そして台湾を愛するのと同じように、心から、祖国・日本に栄えあれと念じています。
一世紀の四分の三に手が届こうとしているおばあちゃんの私は、人生行路の最終駅にたどり着く前に、日本の若者が強く大きく大地に立ち、自信一杯、誇り一杯で、お国をリードし、世界の平和を守る姿を見たいと願っております。
私はいつも心の中で叫んでいます。
私を生み育てた二つの母国よ、共に栄えあれ!
平成十五年十一月九日
蓬莱島にて 楊 素秋」
「日本時代の台湾は、町全体が豊かで、特に台南はゆったりと時間が流れているようでした。
よく町の孔子廟では、詩人や文人が詩を作ってお互いに交換しあって楽しんでいました。
非常に安定した社会で、隣近所とは互いに信頼し合い、相互の信頼関係、人と人との絆が素晴らしかったのです。
ですから、どこに行っても安心出来ました。
それこそ枕を高くして寝ることが出来る世の中でした。
(中略)
また、現在の台湾の町並みを見てもらえば分かりますが、どの家にも鉄格子が付けてあります。
まるで、自分で作った牢屋に自分で住んでいるかのようです。
私の家もマンションの玄関のドアが二重にしてあり、窓には鉄格子がしてあります。
それでも、空き巣に綺麗に洗いざらい盗られたことがありました。
私は鉄格子の無い家に住みたいとつくづく思うのです。
鉄格子の無い家で、戸締まりをしなくても安心して眠ることが出来た日本時代に戻りたいのです。
道端で品物を拾っても、決して自分のものにすることのない時代にしたいのです。
日本時代は、人民は政府を信頼していました。
そして、それに応えるかのように政府も人民の生活を良くしてあげたいという気持ちを表していました。
また、兵隊さんも、先生方も、お巡りさんも良くしてくれ、町中至る所にいい雰囲気が溢れていました。
もしもタイムマシンで元に戻れるのなら、もう一度日本時代に戻りたいのです。
あの平和で穏やかな時代に。」
「日の丸は、いつでも私の心の中にあります。今の台湾の国旗よりも翩翻と翻る日の丸の旗が、私の脳裏にはいつも浮かんで来るのです。色々な旗の中で一番初めに目に付くのは、やっぱり日の丸です。旭日といったらこれから昇る太陽のこと。素晴らしい、綺麗だ、と単純にそう思えるのです。本当に素晴らしい。日本人にももっと愛してもらいたいと思います」
「昔、『八紘一宇』という、世界を一つの美しい家にするという言葉がありました。私はその発想が素晴らしいと思っていました。
今でも兄とよく話すのですが、もし、大東亜戦争がなかったらどうなっていただろうか、と。恐らく今の東洋の発展はなかったのではないかと思います。西洋の文化に侵略されて東洋の文化は失われていたでしょう。このように、大東亜戦争は白人の侵略を防ぐことが出来たという素晴らしい功績を残したことも、また事実なのです。それなのに、日本は四十年も五十年もお前だけが悪いと言われ続けています」
「大東亜戦争の原因は、聞く所によると、アメリカが石油、石炭をはじめ全ての燃料や物資を日本に売るなと言ったことです。資源を輸入にたよっている日本にとって、それは大変な痛手だったのです。そこで、自活の道を求めた日本は、東南アジアに進出し大東亜共栄圏を形成しようと試みたのです。その大東亜共栄圏を保護するためとアメリカの東亜侵略を覆すために矛をとったのが、大東亜戦争だったのです。
ですから、日本人が戦争好きと思われるのは、私は不本意なのです。決して日本人は戦争好きではありません。先の大戦は、争いを好まぬ日本人がやむにやまれぬ思いで立ち上がったのだと信じています。
一握りの心無い人の言葉に振り回されて、一億の日本国民が日本人であることに誇りを持てなくなるのは、悲しいことです。昔の日本精神はどこにいったのですか! 私はそう叫びたいです。しっかりして欲しいのです。
だから、外国からのゆすりやたかり、自国の中の歪んだ考えの人たちによる国を崩壊させようという企みに揺らいで、『ごめんなさい』と謝り続けるのは、どうかしています。日本の首相も謝りすぎで、一体どうなっているのでしょうか。
日本人は、日本人であることを大いに誇っていいのです」
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