2013年1月19日土曜日

●気学(きがく)

●気学(きがく)
●気学(きがく) http://p.tl/RmcI
園田真次郎が九星術をベースに1924年に創始した日本生まれの占術である。3×3の魔方陣である洛書から生まれた紫白九星を使って様々な事柄を占い、また移動の方位の吉凶を論じる。占術に必要な要素として魔方陣から生まれた紫白九星が主要となっているため、扱いやすいという側面も持っている。一方で、魔方陣の数の順番に従って紫白九星が移動する様が一見不規則なので、配列が神秘的となることなどから、現代の日本では最もポピュラーな占術の1つである。この点は、未だ民俗暦として健在の中国式太陰太陽暦(いわゆる旧暦)を占術の基礎としてそのまま用いる紫微斗数や、生年月日時間の全ての干支を元に占う四柱推命の人気が圧倒的な中国、台湾、香港、韓国などと対照的である。
★エピソード http://p.tl/Qzo5
占断の基本となる要素が絞り込まれているため扱いが簡便で、吉凶の判断がわかりやすく、かつ明治6年の太陽暦改暦以降中国暦の細かい要素をほとんど忘れた現代日本人にとって、適度な神秘性も持つところから、実業家やスポーツ選手なども含め、占術や暦法の専門家ではない一般の支持者・信奉者が多いのも特徴である。
 
作家の池波正太郎は晩年気学を、ミステリー作家高木彬光は自身と気学の書物も残している。


★九星気学 http://p.tl/ScBm
 九星・気学(きゅうせい・きがく)とは、生れた年月日の九星と干支、五行を組合わせた占術。方位の吉凶を知るために使われることが多い。九星術を元に明治42年に園田真次郎が気学としてまとめたものと、それ以前の九星術と合わせて九星・気学と総称される。生年月日によって定まる九星と十二支と、方位の吉凶を知りたい日の九星と十二支を元に占う。九星と十二支は年・月・日・時のそれぞれにあるが、このうち年と月が運勢に大きく関係するとされる。また、生年によって定まる九星を本命星、生まれ月によって定まる九星を月命星という。


★園田 真次郎(そのだ しんじろう、1876年 - ?)http://p.tl/reX7
日本の気学宗家。易者名は荻野地角(おぎの ちかく)。
 
明治9年(1876年)、現在の群馬県桐生市に生まれ、大正13年(1924年)に「気学」を創始。大正時代、江戸時代に天海僧正が徳川家をして15代270年の覇をなさしめるために作った礎と、古来中国より伝わる九星術と陰陽五行説と十二支を組み合わせ、三十数冊に及ぶ緒述を世に送り、この学問を「気学」という東洋占術と呼称した人物である。
 
全国でそれまでの体系を受け継いだ形から独自の九星術とも残ったと考えられ、平山喜堂、[天祐会]など諸流派が全国にある。
・主なエピソード
天海僧正が徳川家をして15代270年の覇をなさしめるために作った礎を園田が弟子を遣い調べた結果、現在のように60度と30度の二つの違いになったと言われているが、尾島碩聞は著書「方鑑大成」で30度60度説は誤りとしており、園田の発表よりも以前に30度60度説の人たちが、大勢いたように思われる。


★天海 http://p.tl/n9yS(てんかい、天文5年(1536年)? - 寛永20年10月2日(1643年11月13日))
安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧。
南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。
大僧正。諡号は慈眼大師。
徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。

★僧正(そうじょう)「大僧正」はこの項目へ転送 http://p.tl/9K77
中国の南朝と日本で仏教の僧と尼を統括するために僧侶が任命された官職(僧官)の一つである。

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