2013年12月12日木曜日
【八紘一宇】
【八紘一宇】
大日本皇國
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「八紘一宇」は神武天皇(初代天皇)が橿原宮(かしはらのみや)に即位されたときに、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」と言われたのに由来します。「八紘」(はっこう/あめのした)は八角、四方八方のことで、当時の日本において、一つの家のようにやっていこうではないか、ということです。神武天皇は九州から東上してきて、奈良の近くで即位されましたが、周囲は全部土着の豪族たちです。ですからそれらを統一し、全部を一つの家として仲良くやっていきましょう、といった道徳的な意味です。
「八紘一宇」が東京裁判のときに侵略思想だと検事側がしきりに指摘してきました。そこで弁護人は日本の古典、明治当初の文献などを翻訳して提出し、学者を証人として出廷させて十分な説明を行いました。これによって「八紘一宇」ほか皇道は日本道徳上の目標であることが認められています。...
日本の「八紘一宇」の精神は明治維新のときに神武天皇の教えられた精神でいかなければならない、というところからきていますので、日本人の精神に浸透していたものでしょう。この精神があったからこそ、エルテュールル号遭難の救助、シベリアのポーランド孤児救出、オトポール事件(ユダヤ難民救済)、杉原ビザ(ユダヤ難民救済)、駆逐艦「雷(いかずち)」の英兵救出などが行えたのです。
しかしながら「八紘一宇」はGHQにより公文書記載が禁止されました。昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明しています。なんという悪意を持った解釈でしょう。
まだ「八紘一宇」と言う言葉は消されたままです。まだGHQの呪縛が解けていないのです。こうして日本の伝統的なよいものはどんどん失われてきており、日本人の心は劣化していっているのです。
《日本書紀卷第三神武天皇即位前己未年三月》
「上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。」
(かみはあまつかみのくにをさづけたまひしみうつくしびにこたへ、しもはすめみまのただしきみちをやしなひたまひしみこころをひろめむ。しかうしてのちに、くにのうちをかねてみやこをひらき、あめのしたをおほひていへにせむこと、またよからずや。)
《画像》
日本銀行券 八紘一宇10銭
発行:昭和19年11月1日
廃止:昭和28年12月31日
図案:八紘一宇塔もっと見る
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