2013年12月17日火曜日

『私的憂国の書』「偏向メディアの報道を鵜呑みにしてはならない」

『私的憂国の書』「偏向メディアの報道を鵜呑みにしてはならない」 京免 史朗     2013/12/17  昨日の報道ステーション。米軍ヘリ墜落事故がトップニュースだったが、それを報じた古館の言葉が、朝日系メディアの思想を物語っている。古館は開口一番、「先ず、ヘリが住宅地に落ちなかったことが良かった」と語り、その次に「米兵の命に別条はない」と継いだ。いつも人権を声高に叫ぶ彼をして、人権の最大要件である命は、米兵の場合は二の次なのだ。これは、相手が変われば彼やメディアの主張の軸がぶれるということを物語っている。安倍首相と菅直人が同じことを言っても、彼等の報道の仕方は異なるだろう。私は、彼が「落ちたのがオスプレイじゃなくて残念」と言うのではないかと、暫し画面から目を離せなかった。...  北朝鮮の張成沢処刑に関連する話題でメディアが持ちきりだが、一部には北朝鮮の国営テレビ等が流した報道をそのまま肯定しているコメンテーターがいる。具体的には、張成沢がクーデターを企てたとして「国家転覆陰謀行為」の廉で死刑判決を下したというものだ。失脚の際に流れていた報道は、「権力を乱用した腐敗行為」「複数の女性との不当な関係」「高級食堂の裏部屋で酒遊びや飲み食い」「賭博に手を染めた」などという、ワイドショーねたに相応しい罪状だった。少なくとも、クーデター説が出てきたのは、それよりずっと後だったはずだ。これは、北朝鮮当局の、張成沢処刑に関する後付けの理由なのだ。  クーデターに対する処罰は、懲罰の種類は別としても、それそのものは国家の正当な対処なのだ。クーデター論を鵜呑みにし、反逆があったから金正恩が張を処分したという論旨は、金正恩の正当性や処罰の妥当性を底意に含み、それを視聴者なりメディア読者に刷り込むものだと見てとれる。こういうコメンテーターが居るから、情報を受け取る側は惑わされる。かつての北朝鮮賛美のイデオローグが、メディアのなかにいまだに存在するということを、読者・視聴者は意識すべきである。  テレ朝の悪名高きコメンテーター、川村晃司は、週プレNEWSの取材にこう語っている。 「明らかに安倍官邸は驕(おご)っています。今の自分はなんでもできると思い込んでいるようです。三権分立のなかで、行政だけが飛び抜けて強くなっている。秘密保護法案をめぐる国会運営を見ても、行政権の独裁、安倍独裁がスタートしたという印象を強く持ちます」  独裁政治というのは、特定の個人・党派・階級・身分などの少数者が国家権力を独占し、恣意的に行う政治(以上、大辞泉より)のことだが、これはまさに北朝鮮や支那のことであって、日本には当たらない。日本の政治のどの部分に独裁を許す隙があるのか、河村は説明すべきだ。現制度のなかで政治の独裁が行われるということであれば、それは等しく、有権者に対する冒涜だ。同じ言説は橋下氏が絶好調のときにもあったが、今の政治のメカニズムに、独裁を許す仕組みなど存在しない。米軍とあれば叩く報ステ・古館と同様に、河村の場合も安倍政権を叩くという最大かつ最優先の目的があってのコメントだろう。  国会閉幕後の世論調査では、安倍政権の支持率が軒並みダウンしているが、私が比較的信頼をおいている時事通信の世論調査でも、同様の結果が出ている。12月度の調査では、政権支持率は前月から9.5ポイント落とし、47.1%となっている。  メディアの総攻撃に遭い、手段を選ばぬ叩かれ方をして、いまだ50%近い支持率を維持していること自体が奇跡と思える。靖國参拝ともなれば、このサヨクメディアの総攻撃に読売も加担する。  昨日16日で、安倍自民が衆院選で圧勝してからちょうど1年。消費税増税、TPPなど、賛同しかねる政策も多々あれど、安倍総理はよくやっていると思う。報ステの米軍ヘリ墜落、北朝鮮の張成沢処刑、川村晃司の独裁政治発言は全て、メディアの偏向の凡例である。こうやって垂れ流される報道と、メディアリテラシーを持つ国民の対決は、まだまだ続く。

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