2013年10月5日土曜日

【東洋の真珠の国・スリランカの物語】

【東洋の真珠の国・スリランカの物語】 Ryunosuke Megumi さんの講演より。 大正10年、スリランカはイギリスの植民地で、人々は牛馬のごとく扱われていました。 ところが昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパに御巡遊されるため、お召し艦の「香取」、供奉艦の「鹿島」の二隻で編成された第三艦隊がスリランカ(当時はセイロン)の首都コロンボに入港されました。 この時、ある少年の母親は丘の上に少年を連れて行き、このように言いました。 「見よ、あれがロシアを破った日本海軍の艦隊だ。同じアジア人なのよ。アジア人もやれば出来るのだよ」と諭されたのです。 この時、丘の上には多くのスリランカ人が集まって来て、遠い眼差しで帝国海軍の艦隊を見つめていました。 以来、この少年は猛然と勉強して、スリランカの独立運動に加わり、やがて大統領になるのです。 この少年の名はジャヤワルダナです。 サンフランシスコ対日講和会議にスリランカの大蔵大臣として出席したジャヤワルダナ(写真)は、会議の冒頭で「対日賠償権を放棄する」と宣言し、このように発言しました。 「アジアの諸国民は、なぜ日本が自由になることを切望しているのか。 それはアジア諸国民と日本との長きに渡る結びつきのゆえであり、植民地として従属的地位であったアジア諸国民が日本に対して抱いている深い尊敬ゆえである。 アジア諸国民の中で日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として仰ぎ見た。 ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には祖国が解放されることを願って、日本に協力した者がいたのである。・・・」 この発言に吉田茂全権は感泣しました。 その後、日本はスリランカにとって最大の資金援助国となります。 そのことをスリランカの人たちはよく知っていて、日本人に対してとても感謝しているのはご存知の通りです。 昭和天皇の大喪の礼の時にはジャヤワルダナは強く希望し、時の大統領に代わって参列されました。 きっと、あの時、母から言われたことを思い出していたことでしょう。 ジャヤワルダナは亡くなった時に遺言で「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」として、日本人に角膜を寄贈されたのです。

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