2013年10月3日木曜日

『ねずさんのひとりごと』より

『ねずさんのひとりごと』より 「60年の時を経て届いた手紙」 抜粋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ナガタカズミ海軍中尉の日記」 七月四日 命令に従い、私は艦隊司令部に出頭した。 いまや司令部は前線と化し、空襲の真っただ中にある。 生きて帰れるかわからなかったが、任務終了後、無事に戻ることができた。 とうとう最後の抵抗をする判断が下された。 ひと月にわたる激しい戦艦の砲撃と、絶え間ない空襲に対抗し、前線のわが軍人、兵士達は立派に戦った。 このように絶望的な状況下で戦えるのは日本人だけであろう。 しかし敵の圧倒的な火力を目のあたりにして、さすがの大和魂も歯が立たない。 サイパン島は小さすぎる。 身長150センチと小柄な私でさえ隠れることが困難だ。 七月五日 あと一日か二日で最後を迎える。 何も思い残すことはない。 出来る限りのことは行った。 私の心はおだやかで満ち足りている。 これが運命だ。こうなることが決まっていたのであろう。 どのように名誉ある最期を迎えられるかのみを考えている。 わが妻、シズエへ。 何も言い残すことはない。 君と結婚して十七年がたった。 幸せな思い出に満ちた十七年だった。 来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。 君になんとか恩返しをしたかった。 感謝の気持ちでいっぱいだ。 私のぶんも、子供たちを可愛がってほしい。 私が至らぬために、子供たちに迷惑をかけるかと危惧している。 これまで過ごした年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。 体を大切にして、末永く充実した人生を送ってほしい。 今後日本は、本当に困難な時期を迎えるだろう。 日本は、あらゆる勇気を奮い起して困難を乗り越えねばならない。 君は優しすぎる。 父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり、彼らを強く、廉直な日本人に育ててくれ。 日本がある限り、暮らしに困ることはないだろう。 万一の時が来たら、日本人として名誉ある最期を迎えてほしい。 高宮の父、兄姉、そして板付の義母、義兄、それから「てつお」にくれぐれもよろしく伝えてくれ。 コン、マサ、ヤスへ。 強い正直な日本人になってくれ。 将来の日本を担ってほしい。 兄弟どうし、互いに強力しあい、全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。 コンとマサ、君達は兄としてヤスの面倒をよく見てやってくれ。 この日記を託す森海軍中佐は、瀬尾の同級生である。 機械が出来次第、瀬尾に会いに行き、何が起きたのか細かい事情を聞いてほしい。 敵の戦闘機の砲撃や空襲が頭上を飛び交っている。 これまで過ごしてきた年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。 体を大切にして、末長く充実した人生を送ってほしい。 カズミより ナガタシズエ様 (昭和十九年七月五日) ~~~~~~~~~~~ この日記(遺書)は、家族には届けられませんでした。 全員玉砕してしまったため、届けれる人がいなかったのです。 取材班は苦労の末ナガタさんの遺族を見つけます。 妻の静江さんは、95歳になっていました。 静江さんに、60年前に夫が残した最後の手紙を渡します。 静江さんは、静かに日記を読み始めます。 「敵の戦闘機の砲撃や空襲が飛び交ってる・・・」大変な状況やったんやな・・・ そのあと、静江さんは声を立てて泣き崩れてしまいます。 大粒の涙がぽろぽろとあふれています。 $子どもへ伝える大切なもの 「これまで過ごした年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。 体を大切にして、末永く充実した人生を送ってほしい。 和美より 長田静江様」 静江さんは、和美さんの遺書を読んでいたのです。 静江さんは、日記を読み終えた後も泣き続けました。 重松氏が、沈黙を破るように口を開きます。 「静江さん、ひとつ教えてください。 ボクは、この日記を持ってきてよかったですか? 本当は、持ってくるべきではなかったかもしれないと思っていました。 迷いがありました。」 それは事実でした。 ここに来るまで重松氏は、他人の古い悲しみを呼び覚ますだけではないのかと、その権利が戦後生まれの自分にあるのか。どうしても届けたいと思うのは、自分のエゴじゃないのか、と真剣に迷っていたのです。 そして、いま、目の前で泣き続ける老婆を目の前にして、重松氏は自分の選択に自信がなくなっていたのです。 静江さんは、声を震わせながら、重松氏を見つめて言いました。 「夫がそんな気持ちであったかと思うと、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。 見せてもらって、ほんとうによかったです。 ありがとうございました」 $子どもへ伝える大切なもの 静江さんは、サイパンへ出征する和美さんを見送った日の光景をはっきりと記憶していました。 それは昭和19年2月のことでした。 静江さんは、線路沿いの道端で、列車を待っていました。 「ここでよい、と言われて家の前で別れたのですが、私はもう一度姿を見たいと思って、いちばん下の康をおんぶして、日の丸の小旗を手に、近くの国鉄の線路まで急ぎました。 そして線路わきに立っておりました。 間もなく通りかかった汽車の窓に目を凝らしておりましたら、主人はこぼれるような笑顔で、デッキに立っていました。 ふだん、笑顔なんか見せたことないので、私はびっくりしました。 軍服姿で、白い歯を出して、こちらに笑いかけたのです。 主人は軍の申しを頭の上で高く大きく回しながら振っております。 いつまでもいつまでも振っておりましたよ。 そしてその線路がまっすぐなんですよね。 笑顔は見えなくなり、帽子もだんだん小さくなり、最後、鉛筆の芯ほどの黒い天になって消えて行きました。 私は夢中で小旗を振りながら、熱い涙をこらえることができませんでした」 静江さんは立ち上がると、重松氏と渡辺氏に深々と頭を下げていいました。 「思い出をいただいて、こんな嬉しいことはありません」 「最高の宝物をいただいた思いです」 重松氏は、長田邸を出たあと、長田家の墓へ向かい、和美さんの霊につぶやくように報告します。 「長田さん、日記、お届けしましたよ」

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