2013年10月1日火曜日

『本当の日本の歴史』 東京大空襲の証拠写真

『本当の日本の歴史』 東京大空襲の証拠写真      京免 史朗 東京大空襲の証拠写真を守った 「石川光陽」                         2013/10/01 石川光陽さんは、警視庁に所属していた警察官であり写真家で、 東京大空襲の惨状などを撮影した事で知られています。 1904年(明治37年)福井県の写真屋の家に生まれ、 1927年(昭和2年)に警視庁に入庁しました。 1942年(昭和17年)4月18日のB-25による東京初空襲の直後、上司であった警務課長の原文兵衛に呼ばれ、 坂信彌警視総監から空襲の記録写真を撮影するよう命令されました。 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲際、33枚の写真に残し、その後、5月25日の山の手空襲まで記録写真を撮影しています。 石川さんが撮影した空襲の記録写真は、1942年のドゥーリトル隊による東京初空襲での物を含め、600枚以上にのぼっています。 敗戦後、GHQによる占領が始まり、石川さんが唯一空襲の状況を撮影していた事実を突き止めました。GHQは、アメリカの戦争犯罪を隠ぺいする為、石川さんに空襲被害状況を撮影したネガを提出するよう命令してきました。 石川さんは、頑なにこの命令を拒否しました。 石川さんは、GHQにネガが押収される事を防ぐ為に、自宅の庭に埋めて保存したのです。 石川さんが、歴史の事実を伝える写真を守り抜いた事により、後世に東京大空襲の証拠資料が、残る事になったのです。 戦時国際法、ハーグ空戦法規によれば、軍隊は民間人の虐殺は勿論、民間人の建物の破壊も禁止しています。 GHQが石川さんに写真を提出するよう執拗に求めた訳は、アメリカが国際法を違反して、戦争犯罪をしたという自覚があったという何よりの証拠です。

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