2013年12月15日日曜日

太政官布告第342号で神武天皇即位紀元制定。

太政官布告第342号で神武天皇即位紀元制定。 http://p.tl/RHpV   日本会議地方議員連盟 ~転載 2013/12/15 今日は何の日 12月15日 1872年(明治5年11月15日) - 太政官布告第342号で神武天皇即位紀元制定。 神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法である。 ■紀元と年号   建国記念の日は最初の天皇である神武天皇が即位したという   「辛酉年の春正月の庚辰の朔に天皇橿原宮において帝位に即く」  という日本書紀に書かれた日付を現在の太陽暦に変換すると紀元前 660年 2月11日になることからこれが明治憲法下の紀元節という祝日となり、この慣れ親しんだ日が現在の「建国記念の日」として選ばれたと考えられます。 ◇紀元  【紀元】(きげん)   歴史上で年を数える際の基準、または基準となる最初の年。   現在世界的には、キリスト誕生と考えられた年(歴史的には紀元前 4年頃   に誕生とされる)を元年とする西暦紀元を使用。   日本では1872年(明治5)、神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めて   皇紀元年と呼んだ。    《広辞苑・第五版》  紀元を辞書で引くとこう書かれていました。  さて、既にこの「紀元」という言葉を一度使いました。それは、   「紀元前 660年 2月11日になることから」  という箇所です。この「紀元前」は何かというと私たちが普通「西暦」と呼 んでいるキリスト誕生年からの年数の数え方の紀元元年の前というものです。歴史の本などではこれを略して「B.C.」と書かれるもので略さずに書けば、    before Christ  つまりキリストが出現する前何年というものです。普通はイエスが生まれた年を紀元元年とする年数だと言われますが、これは後世考え出されたものなのでそのとおりとは言えませんが、本日の話とは直接関係ないのでそれ以上の話はまた何処かで。  本論に戻りますと、「紀元」とは歴史上の年数を数える基準となる最初の年であり、何を基準にとるかと言うことで様々な「紀元」が存在します。日本における「紀元」とは何かというと、冒頭で書いた神武天皇の即位の年をその元年とするもの。  これを本来は単に「紀元」と書くのですが、これだとキリスト誕生紀元などと混同してしまうので、「皇紀」と書く場合もあります。 ◇日本の「紀元」の起源?  日本製の「紀元」である皇紀はいつ頃から使われたかというと、これがビックリするほど新しい・・・。明治 2年に津田真道という人物が年号を使った年月日の記述は煩雑で判りにくいのでこれを廃止して諸外国が採用しているような紀元方式をとるべきだと集議院に建議したことに始まります。  ちなみに諸外国の使う紀元の例としては、キリスト誕生紀元の他にもユダヤ教徒やイスラム教徒がそれぞれに使っている幾つかの「紀元」が例に引かれいます。  津田真道は、何処かの国の「紀元」を流用しようというのではなく我が国も独自の紀元を設けて、以後はそれを使い続けようと主張しています。そしてその我が国独自の紀元として神武天皇の即位を元年とするのがよいと書いています。  もう一つ津田の建議で注目すべきところは、この紀元使用の前提として年号の廃止があることです。 ◇太陽暦への改暦と紀元  太陽暦へ改暦された年の暦には   神武天皇即位紀元二千五百三十三年 明治六年太陽暦  と書かれています。  これが庶民が最初に目にした「日本独自の紀元」を記した印刷物だったのではないでしょうか。新しい暦の使用に合わせて、年数の記載方式も新しくしようという考えが強く感じられる表現です。  津田の建議にあったとおり、この紀元の使用は前提として年号廃止がありましたが、いよいよ紀元の使用が始まると、文書の日付はどう書くのが正式かという問題が生まれました。文書の日付の書き方を統一しようと言うものです。  明治六年の正月早々に、政府は官僚を中心として作られた諮問機関にこの問題を検討するように指示しました。そしてこの問題に対する回答は、   1.紀元が制定されたからには年号との併用は考えられない。     年号の使用は公私の文書ともこれを禁止すべきだ。   2.正式の表記は「二千五百三十三年」のように、略式は「二五三三年」     のように記する。  というものでした。  これがそのまま通っていれば今年は平成二十一年ではなくて、紀元二千六百六十九年だったのですが・・・。  この回答を受けた政府(太政官)はこの回答をあっさり無視して次のような方針を示し、これがそのまま使われることになりました。   1.正式には「神武天皇紀元二千五百三十三年 明治六年×月○日」   2.略式には「明治六年×月○日」   3.もっと略式にするなら「六年×月○日」  うむ、折角紀元を設けたのに紀元の存在が霞んでしまい、相変わらず年号を使い続けることに。元の木阿弥?  そのお蔭で、「大正」「昭和」「平成」という年号も生まれました。そして正式にはこの年号の前に書かれているはずの「神武天皇即位紀元」は消えて無くなり、今では「紀元」といわれるとキリスト誕生紀元、いわゆる西暦の紀元だと思われるようになってしまったのでした。 紀元前660年となった根拠 『日本書紀』神武天皇元年正月朔の条に「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」(読み下し文:辛酉(かのととり)の年の春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)。 天皇(すめらみこと)、橿原宮(かしはらのみや)に於いて即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇元年(すめらみことのはじめとし)と為す)と記述がある。 『宋史』日本国伝(『宋史』491卷 列傳第250 外國7日本國[8])では「彥瀲第四子號神武天皇 自築紫宮入居大和州橿原宮 即位元年甲寅 當周僖王時也」とあり、即位は周の僖王(紀元前681年 - 紀元前677年)の時代の甲寅が即位元年とする。 明治維新後の1870年代初期に歴史学者の那珂通世が、『日本書紀』はその紀年を立てるにあたって中国の前漢から後漢に流行した讖緯説を採用しており、推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年(辛酉年)から1260年遡った紀元前660年(辛酉年)を、大革命である神武天皇即位の年として起点設定したとの説を立てた。 これは隋の煬帝により禁圧されて散逸した讖緯説の書(緯書)の逸文である『易緯』の鄭玄の注に、干支が一周する60年を1元(げん)といい、21元を1蔀(ぼう)として算出される1260年(=60×21)の辛酉年に、国家的革命(王朝交代)が行われる(辛酉革命)ということに因む。

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