2013年12月31日火曜日

●広島県世羅高校女子生徒が韓国で土下座?。

●広島県世羅高校女子生徒が韓国で土下座?。 http://p.tl/Q1O8から転載   タイトルは「修学旅行・韓国」とでもしておきましょう。 この写真や内容は10年前のものですが、今でも似たような修学旅行をしている学校は全国にあるそうです。   中学・高校の多感な時期に問題の3国に修学旅行に行かせるのと、その他の国に行かせるのとでは取り返しがつかないくらいの差が生じると私は思っています。   これらのひどい修学旅行はネット上でも簡単に検索できますので、ぜひご自分で調べて見ることをお勧めします。   【以下、女子高生の体験記】   こんばんは。初めて書き込みします。   私は高校2年で今日修学旅行から帰ってきました。   旅行は韓国に行って来ました。   初めての海外旅行で行く前はすごく楽しみだったのですが、   なんだかとてもいやな思いをしました。   誤解がないようにしておきますが、韓国の人に別に嫌な感情とか持っていません。   というより、あまり韓国に興味がなかったのです。だけど韓国行きが決まってから   いろいろ韓国の勉強をしました。だからこそ今回の旅行は残念なことばかりでした。   旅行中、大きな体育館みたいなところで元従軍慰安婦のおばあさんのお話を 聞く機会があったんです。   私は昔日本の軍隊が酷いことをしたからこれは素直に申し訳ないと思います。   だからお話も真剣に聞いていました。   お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。   司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。   ???、確かに私たちは日本人だけど、どうして手をついてまで謝らなくちゃいけないんだろう 、 と 疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう」   と言いだし、先生が「申し訳ありません」と最初に頭を下げました。   突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声!   私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして私が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、   体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。   その生徒は普段みんなに怖がられている悪い生徒でしたが、   このときばかりはみんなその生徒に同調していました。   一番頭のいい男子生徒が普段は先生に口答えとかしたとこ見たことないのですが、   猛烈に先生に 抗議しました。それに同調するかのように「私はしない」「やらない」の声があがり始めもう   周りは騒然としました。   そうしたら韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生に怒鳴りつけていました。 元慰安婦のおばあさん激しい怒った口調   で言っています。 それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、   先生方が「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。   おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」と言って、   結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。   私は納得がいかない思いでいっぱいでした。 確かに私たち日本人の祖先が過去に韓国の人に苦痛を与えたのかもしれませんが   その理由で私たちが土下座をする必要があるのでしょうか? これは修学旅行の第一日目におこったことでその後は、もうめち   ゃくちゃでした。 まだまだいっぱい嫌なことがありました。友達の中には先生に切れてさらに韓国が大嫌いになった人もたく   さんいます。 こういうこと(謝ること)は普通なのですか?   修学旅行から帰ってこのことを父に話したら絶対におかしいと怒っていました。   学校に抗議するといって いましたが、私はあまり騒ぎを大きくしてもらいたくないのでやめてもらいましたが。   私はあまり勉強もできなくて学校自体もそれほど偏差値のいい学校ではありませんが、   初めて 真剣に日本のこと、日本人であること、韓国のこと等考えました。   私は間違っているのでしょうか?当たり前のことなのでしょうか?

【靖国参拝】オバマ政権の偽善 2013.12.29 産経新聞より

【靖国参拝】オバマ政権の偽善 2013.12.29 産経新聞より       藤井 勝 ワシントン駐在客員特派員・古森義久  米国のオバマ政権は安倍晋三首相の靖国神社参拝に対し「失望」を表明した。その背後には靖国に祭られた霊の中に米国を敵として戦い、戦後に戦犯と断じられた人たちがいるからという理由づけもあることは明白である。...  だが米国の首都のワシントン国立大聖堂にもアメリカ合衆国を敵として戦い、戦後に戦犯扱いされた将軍たちが祭られている事実が新たな注視を集めたことは皮肉だといえる。オバマ政権の、自国と日本に適用する価値基準が明らかに背反しているからだ。  首都中心部にそびえる大聖堂はキリスト教のあらゆる宗派の礼拝や追悼の国家的な場となってきた。多数の大統領の国葬や歴史上の人物の式典が催され、無数の米国民が参拝してきた。  大聖堂のネーブ(身廊)と呼ばれる中央の礼拝堂の祭壇わきには南北戦争でアメリカ合衆国に反旗を翻し、奴隷制を守るために戦った南部連合軍の最高司令官のロバート・E・リーとその右腕のストーンウォール・ジャクソンという2人の将軍の霊をたたえる碑文と生前の活動を描く多色のステンドグラスが存在する。その慰霊表示は礼拝堂の壁面全体でも、よく目立つ巨大な一角を占めてきた。  その事実が話題になることはこれまで少なかったが、12月11日、大聖堂で南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラ氏の追悼式が催されたのを機に議論を生んだ。  ワシントン・ポストの首都圏コラムニストのジョン・ケリー氏が「なぜリーとジャクソンが大聖堂で栄誉を受けるのか」と題する記事で疑問を提起したのだ。「人種平等のために戦ったマンデラ氏を悼む場に人種平等阻止のため戦った2人が堂々と祭られていることに驚いた」との指摘だった。  バージニア州のランドルフメーコン大学のエビー・テロノ歴史学教授も「首都の大聖堂にこの首都自体を破壊しようとした将軍たちの慰霊表示があることは矛盾」との見解を述べた。  だが両将軍の大聖堂への祭祀(さいし)は1953年と歴史は古い。南部連合の子孫の女性団体が20年がかりで訴え、実現させた。その結果はリー将軍らの「高貴な信念の豪胆なキリスト教戦士」という碑文での聖人化であり、戦場での勇猛な活躍ぶりのガラス画化だった。  こうした疑問に対し大聖堂の広報官は「南軍将軍の慰霊表示も米国の歴史のキリスト教の視点からの紹介であり、歴史にはよい部分も悪い部分もある」として公式の反対はないと言明した。死者の霊は生前の行動によって責められることはないとの見解だった。  だからこそこの大聖堂にオバマ大統領も閣僚たちも頻繁に参拝するのだろう。だが、その政権は靖国に対しては問われる前に日本の首相の参拝への「失望」を喧伝(けんでん)するのだ。ブッシュ前政権が当時の小泉純一郎首相の靖国参拝を認め、むしろ中国の圧力に屈するなという意向を示したのとは対照的である。  日本の首相は頻繁に靖国を参拝すべきだというジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は「オバマ政権の靖国への態度は大聖堂の現実からみると明らかに偽善的だ」と論評するのだった。

●日不見(ひみず) 世界中で日本にしかいない小さなモグラ

●日不見(ひみず) 世界中で日本にしかいない小さなモグラ ◆森のガイド 三浦豊の森の案内のホームページ   http://www.niwatomori.com/ ◆日不見   動物名辞典 読み方:ヒミズ(himizu) モグラ科の哺乳類   ◆ヒミズ http://p.tl/fAiF(日不見、日見ず 学名:Urotrichus talpoides )http://p.tl/nVkm トガリネズミ目モグラ科に分類される哺乳類。 ・分布 日本固有種である。本州、四国、九州とその周辺の島に広く分布する。 ・形態 頭胴長が89-104mm、尾長が27-38mm、後足長が13.8-16mm、体重が14.5-25.5gになる。いわゆるモグラに比べると小型で、長い尾をもつ。モグラによく似ているが、土を掘り進むために使う前足が小さい。体毛は背面が黒色か黒褐色で光沢がある。腹面はやや淡色になる。尾は太く棍棒状で頭胴長の1/3の長さがあり、先端部には比較的長いブラシ状の毛があるが、根本はピンク色の皮膚が露出する。なお、尾骨はたがいに癒着し、1本の骨のようになっている。上顎の第1切歯は非常に大きく、先端が尖る。 ・生態 低山帯の森林や草原の落ち葉の下に生息するが、モグラとは違い地下のごく浅いところで生活していて、自分で長大なトンネルを掘ることはない。夜間には地表も歩き、半地中生活をしている夜になると地上を徘徊することもあるが、日光が照る所には出てこない。「日見ず」という和名もここに由来する。   食性は雑食性で、昆虫類、クモ、ムカデ、ミミズなどの小型土壌動物や植物の種子や果実を食べ、小麦粉や大豆、大麦などで採集することができる。 いっぽう、天敵はアナグマ、テン、イノシシ、トビ、フクロウ、モズ、ジムグリなどである。ただし死んだヒミズは臭いが強く、死骸を食べる動物は少ないといわれる。   繁殖期は春であるが、一部の個体は秋にも繁殖する。1回に1-6頭の仔を産む。寿命は約3年である。   ・近縁種 本州、四国、九州に分布するが、生息域は標高の高い山地に限られる。これはヒミズと競合して生息域を追われ、ヒミズが生息しないような山地に追いやられたものと考えられている   ◆ヒメヒミズ   本州、四国、九州に分布するが、生息域は標高の高い山地に限られる。これはヒミズと競合して生息域を追われ、ヒミズが生息しないような山地に追いやられたものと考えられている。   ◆姫日不見  動物名辞典 読み方:ヒメヒミズ(himehimizu) モグラ科の哺乳動物 学名 Dymecodon pilirostris   ◆ヒメヒミズ  http://p.tl/EP1s 確かに「ヒメヒミズ」は個体の大きい「ヒミズ」に生活圏を奪われ高山へと追いやられたのは事実であり、標高1,500m以上に生息するかの記載が多いですが此れは統計であり、総ての場所に当て嵌まるとは思われません。   ◆『●モグラ 土竜 もぐら  ●外来種』 http://p.tl/WfXr   ◆●土竜●モグラ●もぐら●  http://p.tl/u9Ol

『ベルギーと日本』=ねずさんのひとりごと=

『ベルギーと日本』=ねずさんのひとりごと= 歳末になりましたので、すこし暖かなお話を。 ベルギーのことです。 最近の海外旅行はベルギーが人気なのだそうです。 ベルギーは、英国海峡に面しフランスとドイツオランダ、ルクセンブルグと国境を接する人口約一千万人の王国で、童話の「青い鳥」の原作者のメーテルリンクは、ベルギーの出身だし、フランダースの犬でおなじみのフランダース地方は、まさにベルギーのアントワープ地方とその近郊のことをいいます。 街は、まるで童話の世界のようです。 また、自転車好きな方ならおなじみのロードレースも、ベルギーが発祥の地です。 オートバイのモトクロス競技も同じくベルギーが発祥です。 実は、そのベルギー王国は、たいへんな親日国です。 なぜでしょうか。 ======= 日本がベルギーと国交を持ったのは、慶応2(1866)年の日本国白耳義(ベルギー)国修好通商及び航海条約の調印が始まりです。 明治26(1893)年、アルベール・ダネタン男爵が特命全権公使として来日しました。 氏はその後16年間にわたって日本に駐在し、世界における日本の地位向上のために努めてくださいました。 例えば日清戦争で日本が旅順港を占領したとき、米国のワールド紙などは、「日本が現地で無辜の住民を6万人も虐殺している」と報じました。 ところがこのときアルベール・ダネタン男爵が、事の真偽を確かめようと調査に乗り出し、結局この報道は米国記者による捏造記事であることを突き止めたのです。 ダネダン公使は、その日のうちにべルギー本国政府に報告書を送りました。 ========== 日本は敵兵であっても傷病者に配慮し、赤十字は皇后陛下の後援のもとで完璧なまでに仕事を遂行し、ジュネーブ協定を遵守している。 これはアジア人の間の戦争においてはおそらく初めてであろうと思われる。 その場に居合わせたフランス武官・ラブリ子爵から直接聞いたところ、殺されたのは軍服を脱いだ兵士たちである。つまり「婦女子が殺された」というのは真実ではない。 ほとんどの住民は占領前に避難を済ませている。 町に残っていたのは兵士と工廠の職工だけだしかない。 日本兵は無残に扱われた戦友の死骸を見ながら、敵を捕虜にするだけにとどめたのである。 =========== 当時支那兵は、捕らえた相手国兵士を殺して、遺体をバラバラに切断して吊るして、これを食べたりしていました。 そのことは当時の東洋を知る白人たちの常識でした。 要するに人種差別が絶対だった時代において、東洋人=支那人であり野蛮人だというのがまさに白人たちにとっての常識だったわけです。 先日も書きましたが、そもそも西欧には、ヘロドトス以来のアジア人=恐怖のサタン族という伝統的な見方があります。 つまり、欧米の世界支配が支那に至ったとき、まさにそれは現実となったし、実証されたのです。 「日本も同じことをしている」という米国記者の報道は、欧米諸国に「なるほど」と充分に思わせるものがありました。 「日本人は公正と報じられているけれど、なあんだ、日本人も同じじゃないか。やっぱり有色人種だからねえ」というわけです。 ですから米国人記者による捏造報道は、そのまま各国の新聞に転載され、欧米中に拡散され、「日本人も支那人と同じ野蛮人」と白人諸国の多くの人々に納得を与えていたのです。 ところがベルギーのダネタン公使は、自ら現地調査を行い、事実はまるで正反対で、日本はきわめて公正な振る舞いをしていたし、実に立派な行動を示していたことを見事に立証しました。 男爵は、何も格別なことをしたわけではありません。 自分の足で調査をし、調査の結果わかった事実を淡々とありのままに、本国に報告しただけのことです。 ところが当時の世界において、日本が支那人と異なり、きわめて「公正」であるということが、社会的地位のある白人によって立証されたということは、とても重要なことでした。 こういうことは、当事者である日本人がいくら否定しても、笑い者になるだけです。 野蛮人がまた嘘を言っているとしか思われない。 けれど、白人であり、社会的地位のあるダネダン公使の報告は、違いました。 日本の名誉、ひいては日本人の名誉を見事に守ったのです。 ダネタン公使は、日露戦争でもロシア兵捕虜が虐待されているという海外メディアの虚偽報道を是正する報告を流してくれました。 また夫人のエリアノーラ・メアリー・ダネタンは、日本滞在中の日常の見聞を、「ベルギー公使夫人の明治日記」という本に遺し、この本は当時の外交関係者の動向や社交界の様子を客観的に伝える貴重な資料となりました。 そのダネタン公使夫妻が任務を終えて帰国したのが明治43(1910)年のことなのですが、その4年後の大正3(1914)年に、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発しました。 第一次世界大戦においてドイツは、フランスを攻めるためにベルギー領内を通過しました。 ベルギーは、永世中立を宣言した国です。 ところがいくら中立宣言をしていても、ドイツ軍の通過を認めれば、それはベルギーがドイツの肩をもったことになります。 これは「ベルギーは中立である」という姿勢に反することになります。 ですからベルギーは、ドイツに敢然と立ち向かいました。 これは重要なポイントです。 なぜなら「中立」を守るということは、たとえそれが強大なドイツ帝国であったとしても、敢然と立ち向かわなくてはならないという意志を必要とするものだからです。 非道が行われ、蹂躙されても何もしないということと、「中立」であることは全然違うということなのです。 このことを考えれば、日露戦争(1904年)時における当時の大韓民国(朝鮮)のだらしなさがよくわかります。 当時の大韓民国は、その時点ではまだ日本に併合された日本統治領ではなく、自称であれなんであれ、あくまで独立国(日韓併合は1910年)を標榜していました。 けれど彼らは、日露戦争における日本軍の大韓民国領土の通過に何の反応も示していません。 もっというなら、国際世論も、そのことに何の反応も示していません。 これが何を意味するかというと、当時の世界から見た大韓民国は、世界からみたら無主地同然の扱いでしかなかったということです。 また清国も、日本軍の朝鮮半島通過を黙って見過ごしています。 つまり、彼らには、国民国家としての尊厳もなければ、国家としての意識さえも、カケラもなかったということです。 戦後の日本も同じです。 戦わず、中立でもなく、ただ戦争放棄を歌うということは、国際的にみれば、日本は国家としても民族としても何の尊厳をもたない、ただの無主地に他ならないということです。 たまたま日本は四方を海に囲まれ、米軍の保護下にあって、しかも戦時中にあまりにも勇敢だったから、襲撃や領土通過の脅威にさらされずに済んだだけで、では戦後の平和がこのままの状態でいつまでも温存できるかといえば、それは「違う」ということです。 ベルギーは戦いました。 中立を標榜した以上、たとえ相手がいかなる強国であったとしても、自国を勝手に通過することは許さない。それが自尊自立ということです。 ペルギーは、ドイツ軍の侵入に対して、国をあげて敢然と立ちあがったのです。 繰り返しになりますが、中立というのは、ただ「戦わない」というひ弱な精神ではありません。 どこにも組みしないということは、どこの国からの干渉も絶対に認めないし許さないという強靭な意思を伴うものだということです。 その気概と行動がないなら、中立など成立しえないのです。 当時のドイツ軍は、圧倒的強国です。 ベルギー軍の抵抗もむなしく、領内は次々と侵略されました。 ついにベルギー国王の国王アルべール一世は、フランスとの国境にあるフェルヌに近い寒村にまで追いつめられました。 しかし国王は、絶対に降伏しませんでした。 自ら銃をとって戦い、傷ついた将兵を慰め、不眠不休の戦いを続けていました。 そして連日のベルギーのこうした勇敢な報道に接した日本は、勇敢に戦うべルギー国民を激励しようと、ついに支援活動に立ち上がったのです。 当時の朝日新聞社長の村山龍平は、「中立を蹂躙せられ国歩艱難を極めつも、親しく陣中に在はして将卒と共に惨苦を嘗め給へる白耳義(ベルギー)皇帝アルバート陛下の勇武を欣仰するために、愛蔵の日本刀一振りを口ンドン駐在の特派員杉村楚人冠を通じて献上(大正3年11月7日付大阪朝日新聞)」しました。 また日本国内の新聞各紙をはじめ雑誌その他の刊行物を通じて、苦衷に立つべルギーへの支援活動が日本国内で熱烈に展開されました。 大正8(1918)年、第一次世界大戦が終わった4年後、関東大震災が起きました。 この大震災の二ュースは世界各国に報道され、諸外国から援助の手が差し伸べられることとなったのですが、このとき、群を抜く支援活動をしてくれたのが、べルギー王国でした。 9月3日の震災の報道を受けたべルギーでは、5日には「日本人救済べルギー国内委員会」が結成されました。 上智大学教授の磯見辰典氏によれば、当時、ベルギー国内で、音楽会、講演会、バザー、さらに「日本の日」が各地で催され、新聞はもとより、カトリック教会もこのキャンぺーンに積極的に参加し、なんと約264万2千フラン(日本円で約220億円)を集めて日本に贈ってくれたのです。 これは米英に次ぐ、多額の援助金でした。 ベルギーは、人口わずか1千万の国です。 米国3億人、英国6千万人であることを考えると、いかに大きな貢献をしてくれたかがわかります。 (東日本大震災当時の台湾と同じです) このときべルギー国内で配布された「元兵士へ」(1923年)と題する日本への支援を訴えた文書が、いまに残っています。 この文書を見ると、9年前の第一次世界大戦の際、ドイツ軍の侵略と戦うべルギー軍兵士に対して数々の援助を尽くしてくれた日本人への賛辞が述べられ、べルギーの元兵士はこのときの恩義を今こそ日本に返そうではないかという趣旨が書かれています。 つまり、あの厳しい戦いであった第一次大戦のときのことを、ベルギーの人々はしっかりと覚えていてくれたのです。 下の絵は、有島生馬画伯が描いた関東大震災の絵です。 この絵の右側に、一台の車があり、その横に双眼鏡を手にした山本権兵衛首相が描かれています。 そしてそのすぐ脇に、オフホワイトの背広を着て、赤い洋服を着た小さな女の子が描かれています。 この二人は、背広姿の紳士が日本駐在べルギー大使のバッソンピエール男爵、小さな女の子が有島画伯の姪の皎子(きょうこ)さんです。 有島画伯は、震災における日本支援の象徴として、当時の内閣総理大臣の山本権兵衛、日本支援の象徴としてベルギー公使のバッソンピエール男爵、そして絵を書いた有島画伯の姪の三人を絵にしています。 国際日本人養成講座の(たぶん伊能さんだと思うのですが)、このベルギーと日本の関係を書いたメルマガの冒頭に、次の文章がありました。 〜〜〜〜〜〜 わが国の近代外交史に関する教科書記述の大半は、いわゆる「脱亜入欧」の方針のもと欧米列強と同様の帝国主義路線を邁進し、ついに第二次世界大戦によってその野望は破綻したと見る図式が基調をなしていると見てよかろう。 そうした物差しを当て嵌めて近代史を見てしまうから、わが国が近代の当初に、列強とはひと味違う国々に国作りの手本を求めたり、また親密な交流の歴史を刻んでいた史実などは切り捨てられて顧みられないのである。 わが国はけっして大国志向だけの路線を突っ走ってきたわけではない。 近代化のための様々な選択肢を模索しながら二十世紀を生き抜いてきたのである。 〜〜〜〜〜〜 まさにこの文にある通りで、最近の教科書や歴史学会では、あたかも戦前の日本が軍国主義への道をひた走りに走ったかの如く書かれているものが目立ちます。 大きな間違いです。 以前「奴隷制度と人種排除」の記事(http://p.tl/dL4q)の記事の中で、安政4(1857)年の米最高裁が、 「黒人ならびにその子孫は、所有者の財産であって、合衆国の市民ではない」 という判決を出したことを紹介しました。 このことは、たいへんに象徴的です。 要するに当時の世界の常識は、カラード(有色人種)は、人ではなく「動産」だったということであり、「動産」であるということは、人とのしての権利を持つ「人間」ではないとみなされていたということだからです。 日本人も「人間」ではなく、一般的には、蛮族であり、獣とみなされました。 けれど、そのとき日本がどうしたかというと、それに対して抗議の声をあげるとか、妙な宣伝活動をするとか、相手国の悪口を言うとかという行動はとっていません。 私達の先人達は、ただひたすらに日本にもとからある「公正」さを培い、それを黙々と実践しました。 世界の良心が、それを見て目覚め、自然と日本人を対等な「人間」であり「隣人」であり「友人」と認めてくれるように、ただひたすらに努力を重ねたのです。 日清戦争を観戦したフランスの国際法学者ポール・フォーシーユは、次の言葉を残しています。 〜〜〜〜〜〜〜 日本は、単に自国に法制度を施行して文明国に列しようとしているだけではなく、国際法上においても、まさに文明国であり文明人であることを見事に証明した。 すなわち日清戦争において、清軍はあからさまに国際法を無視したけれど、日本軍は国際法をどこまでも尊重した。 日本の軍隊は、慈悲をもって捕虜を待遇し、敵の負傷者を見つけては救護を拒まなかった。 日本は未だ1868年12月11日のセントピータスブルグ宣言(害敵手段を制限する取り決め)に加盟していないけれど、相手国兵士に無用の苦痛を与える兵器の使用を避けた。 また、あえて敵対しない住民の生命財産を保護する事にもすこぶる注意を払った。 日本は、未だどこの国もしなかった事をしてみせた。 その仁政を熱心に行う余り、ついには敵国の住民の租税を免じ、敵国民から対価を得ることなしに彼らを給養してしまった。 兵士の間ですらも人命を重んじることに極めて厚く、人々を救済する策を惜しむことはなかった。 見るがいい! 日本軍の通過する所には、必ず衛生法を守らせる為の規則が布告されている事を!! 戦前の日本は軍国主義に走ったのではありません。 私達の先人は、「公正」と「人道」と「信義」を大切にし、日本をむしろ世界の模範となれるよう、必死の自制と努力を重ねたのです。 そうすることで世界の良心が、むしろ積極的に日本を認めざるをえないよう、努力を重ねてた。 それが明治から先の大戦にいたるまでの日本の姿です。 その結果、戦うべきときには戦わざるを得なかったし(それをしなければ、ただの無能な馬鹿とみなされた)、そのための軍備を整えたのです。 戦後の歴史解釈が逆なのです。 「笑いの石垣」という有名な小話があります。 概略、次のようなお話です。 〜〜〜〜〜 熊野には、石垣が沢山ありました。 あるとき八幡社の裏手に、石垣を積もうという話になりました。 高さ10メートル、幅30メートルの2段積みといいますから、たいそう立派な石垣です。 ところがその石垣の下に住む村人から、 「危険だから止めてもらいたい」と言う抗議が出たのです。 その時の石屋さんの証書が残っています。 そこに書かれていたのは、 「万が一崩れた時は、お笑い下されたく候」でした。 〜〜〜〜〜 昔の人は、人に笑われるのを最大の恥とした、そのことで村人たちも納得したというのです。 それほどまでに、日本人は民度が高かったのです。 戦地における弾薬不足という非常事態を起こして、緊急事態だからと日本に弾薬補給を要請して助けてもらいながら、あとになって「あれは要らなかった。日本が勝手にしたことだ」といい加減なデタラメを公式に発言するような野蛮な国とは違うんです。 同様のことは、明治10(1877)年から明治13年まで日本に滞在し、東大で生物学を教えた米国の生物学者エドワード・S・モースも、日本での体験として次の言葉を残しています。 〜〜〜〜〜 「私が帰るまで金と時計をあずかってくれぬか」と亭主にたのんだら、亭主は快く承知した。 召使が一人「ふたの無い浅い塗り盆」を持って私の部屋へ来て、それが私の所有品をいれるものだといった。 で、それ等を彼女が出している盆に入れると、彼女はその盆を畳の上に置いたまま出て行った。 私はいうまでもないが、彼女がそれを主人の所へ持って行き、主人は何等かの方法でそれを保護するものと思って、じりじりしながら待っていた。 ところが召使は帰ってこない。 私は彼女を呼んで、何故盆をここに置いて行くのかと訊ねた。 彼女はここに置いてもいいのですと答えた。 私は主人を呼んだ。 彼もまたここに置いても絶対に安全であり、彼はこれ等を入れる金庫も他の品物も、持っていないのといった。 未だかつて日本中のいかなる襖にも、錠も鍵もかんぬきも見たことが無い事実からして、この国民が如何に正直であるかを理解した私は、この実験をあえてしてみようと決心した。 恐らく私の留守中に何回か客が入るであろうし、また家中の召使でも投宿客でも、楽々と入り得るこの部屋のふたの無い盆に、銀貨と紙幣とで八〇ドル、それに金時計とを入れたものを残して私は出発した。 私達は一週間にわたる旅をしたのであるが、帰ってみると時計はいうに及ばず、小銭の一セントにいたるまで、私が残して行った時と全く同様にふたの無い盆に載っていた。 (中略) 人々が正直である国にいることは実に気持がよい。 私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。 錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。 私の大外套と春の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、間もなくポケットの一つに小銭若干が入っていたのに気がついてそれを持って来たが、また今度はサンフランシスコの乗合馬車の切符を三枚持って来た。 〜〜〜〜〜 同様のことは、他の数多くの日本を訪れた外国人が記録として残しています。 つまり、もともと日本は、きわめて治安が良く、民度がたいへんに高かったのです。 だからこそ、日本は、その高い民度のままに、「公正」と「人道」と「信義」を世界の中にあっても貫き通しました。 そのことによって、日本は、まさに世界に認められる国となり、ついに明治35(1902)年には、当時の世界の最強国である英国と対等な軍事同盟を締結するに至っています。 白人国家の代表である世界最強の大英帝国と、東洋の有色人種国家である日本が「対等な同盟」をするというのは、これこそ世界史に残る大事件です。 なぜなら、「カラード=猿」とみなすことが世界の常識であった時代に、人間の代表が猿と同盟を結んだということだからです。 言い換えれば、それが実現できるほどまでに、日本は優れた人種国家であると世界が認めた、ということです。 ベルギーは、もともとハプスブルグ家の飛び地領土だったネーデルランドです。 レオポルド一世が立憲君主に即位することで、ベルギー王国となったのが、天保2(1831)年です。 つまり、日本と通商条約を締結した、わずか35年前に独立した国家です。 そしてそのベルギーは、道義と公正を目指す国家建設にあたり、日本を模範としたともいわれています。 道徳心が高く公正な日本は、欧州における新国家建設の模範となりうる国家でもあったのです。 私達の先人達は、日本をして軍国主義、大国主義を指向しようとしたのではありません。 日本にもとからある「公正」と「人道」と「信義」の文化を護り、伝統と歴史ある日本を守るために誇りをもって努力を積み重ねてきた。 それが、日本です。 そしてベルギーが親日的なのは、戦後の日本がお金持ちになったからでは、ない、ということも知っておく必要があります。 戦前の日本が、公正、人道、信義の3つを大切にした。 そのことがベルギーをして、いまも親日国にしてくれている。 そういうことを、わたしたちは歴史に学ぶ必要があると思います。

「英霊は、「日本国民の総意」として、靖国神社に祀られている」

「英霊は、「日本国民の総意」として、靖国神社に祀られている」 終戦後、社会党の堤ツルヨ衆議院議員は、... 「遺族は国家の補償も受けられないでいる。 しかもその英霊は、靖国神社の中にさえ入れてもらえない」と発言。 英霊達を靖国神社に合祀するよう、強く訴えました。 そして1953年8月、遺族援護法が改正され、 敵国による軍事裁判で有罪とされた方々は、 日本の国内法では罪人と見なされないという判断基準が明確に示され、 遺族に年金と弔慰金が支給されることとなりました。 これは、与野党全会一致での可決でした。 戦勝国により、戦犯とされた方々は、 当時、1860名いましたが、日本国内で、 戦犯釈放署名に4000万人が署名され、釈放が実現しました。 靖国神社合祀については、終戦までは陸軍省、 海軍省が祭神名票を作成し、靖国神社が受理していました。 戦後は、厚生省が戦没者を個別審査し、祭神名票を作成し、 靖国神社が受理、合祀しています。 つまり英霊は、靖国神社が決めているのではなく、 「日本国民の総意」として、靖国神社に祀られているのです。 アジア解放の為、愛する日本を守る為、 そして、後世の私達、日本国民が幸せに生活出来る為、 大東亜戦争に命を捧げた英霊達の為にも、 現代の私達が、 先人達が守りぬいた日本を守り続けなければなりません。

「絶対」にナイショだからな

「絶対」にナイショだからな タイ…    韓国に絶対に行くなと報道 メキシコ…  共存できない民族と報道 フィリピン… 当局が自国女性に韓国人警戒令 カンボジア…国民に韓国人男性との結婚禁じる ベトナム… 国民に韓国人男性との結婚禁じる... ネパール… 「韓国人はささいなことですぐ殴るから」という理由で      「今後、韓国人登山客の道案内はしない」と公式に表明 キリバス… 性が乱れた人たちを「コレコレア」と呼ぶ。 アメリカ…  韓国人によるレイプ注意警告を公式に出した。       黒人紙で「韓国人は下劣、貪欲、傲慢、差別主的」と報道。 NASAが韓国人と韓国系アメリカ人の出入り禁止。 イギリス… 「韓国はW杯開催してはいけない馬鹿な国」と報道された。 台湾…   国交を餌に韓国車輸入させた直後に断交。韓国に対する感情は最悪。 パラオ…  手抜きのKBブリッジが崩落。 韓国は損害賠償など一切せず。 スイス…  「韓国人を見たら犯罪者と思え」と報道。 ナイジェリア…「呆れる人種差別する韓国人」と報道 カンボジア…「韓国人の空港マナーは最悪」と報道 フランス…  国民の40%が韓国を知らない、60%が韓国を知りたくない。「ジャパンエキスポをコリアンエキスポなんて名前にしたら誰も来なくなる」 イタリア…  韓国の誇るPSY()に国民一斉に大ブーイング ドイツ…   国民の過半数が一番嫌いな国は韓国。       「韓国人見ると殴りたくなる」「韓国人は目が小さくて気持ち悪い!死ね!」 イラン…   韓国ベンチに近づいたイランのサッカー選手が、        韓国のコーチングスタッフに2度殴打される。親善試合を拒否 キルギス… 韓国人男性との結婚を禁じる法案検討中

●初詣(はつもうで)

●初詣(はつもうで) ◆初詣  http://p.tl/7GnW 読み方:ハツモウデ(hatsumoude) 大晦日の夜半から元日にかけて、所の氏神に初参りすること。   ◆がんじつ ぐわん― 【元日】 一年の最初の日。一月一日。国民の祝日で、年のはじめを祝う。[季]新年。 ★★★★★ ・がんにち ぐわん― 【元日】 〔呉音〕がんじつ。正月一日。 「―、なほおなじとまりなり/土左」   ◆元日(がんじつ)http://p.tl/A0q8 年の最初の日、日付は1月1日(改暦前は旧暦1月1日)。日本では国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日法律第178号)第2条により年のはじめを祝う日として国民の祝日とされている。日本以外の国でも祝日となっている国は多い。   ◆うじがみ うぢ― 【氏神】 (1)古代の氏族が共同でまつった祖先神、あるいはその氏と特に縁故のある守護神。また、それをまつった神社。藤原氏の祖先神としての天児屋根命(あまのこやねのみこと)、守護神としての鹿島神宮・香取神宮、忌部氏の太玉命(ふとたまのみこと)、源氏の八幡宮など。一門一族の神。 (2)室町時代以降、同一の地域内に居住する人々が共同でまつる神。産土神(うぶすながみ)。 (3)屋敷神のこと。   ◆うじがみ 【氏神】世界宗教用語大事典 日本で、氏(血縁関係のある家族群で構成された集団)の祖先の霊を神として祀ったもの。または、土地の鎮守の神(産土神)。そこの住人を氏子という。→ 産土神   ◆氏神(うじがみ)  神道用語 氏子が住んでいる地域をお守りする神社。古くは同じ一族(氏族)が祀っていた神さまを氏神さまといったが、のちに主として地域の守り神を意味するようになった。氏神に守られている地域の人々すべてを氏子といい、住所によって氏神・氏子の関係が決まる。   ◆氏神   神社用語集 読み方:うじがみ 古代に氏族が祖先神や守護神を一族一門の神として祭ったものです。その後、氏族制度の崩壊で同じ地域に多数の氏族が住むようになり、土地の神である産土神 (うぶすなかみ) と混同して用いられることが多くなりました。   ◆氏神(うじがみ)http://p.tl/Dbpy 日本において、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のこと。 同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士を氏子(うじこ)という。 現在では、鎮守(ちんじゅ)ともほぼ同じ意味で扱われることが多い。 氏神を祀る神社のことを氏社という。   ◆元旦・初詣  ご贈答マナー 元旦(がんたん)について 元旦は年の最初の日「元日(1月1日)の朝」のことを言いますが、現在では元日そのものを表わす言葉として元旦が一般的に用いられてます。 正月の最初の日(第1日目)のことを言いますが、正月3日間のことを「元三日(がんさんにち=または、げんさんにち)=年の初めの3日間との意」といい、「旦」とは朝や明け方という意味で、「年が明けた3ヵ日の最初の日」ということを表しています。 年の初め・月の初め・日の初めであることから「三始(さんし)」とも言われます。   初詣(はつもうで)について 本来は大晦日の夜半(または元日の早朝)に、恵方参りと言って「恵方(えほう=その年の歳徳神の方角=干支により定められる)」に位置する社寺に詣でる習慣がありました。 現在では大晦日にお寺に参拝して除夜の鐘を聞いて、その足で神社に詣でる人が増えつつあるようです。 一般的には正月三ヶ日間のいずれかに、1年間の厄払いと無病息災を願って、地域の神社に詣でることが多いようです。   神社での正式な参拝の仕方 お賽銭を賽銭箱へ投げ入れます。 神殿に垂れ下がっている縄紐を振って鈴を2縲怩R回鳴らします。 二拝(二礼=両手を合わせたまま頭を二回下げる)・二拍手(二回柏手を打つ)・一拝(一礼=再び両手を合わせて頭を一回下げる)の順に拝礼をします。 ※喪中の場合は初詣を避け、4日以降または松の内以降か小正月以降に参拝するのが良いとされています   ◆初詣  季語・季題辞典 読み方:ハツモウデ(hatsumoude) 元日に氏神に参り、またはその年の恵方に当たる神社仏閣に参詣すること 季節 新年 分類 宗教   ◆初詣(はつもうで)http://p.tl/7GnW 年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。 一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。 初参り(はつまいり)ともいう。   ◆がんじつ ぐわん― 【元日】 一年の最初の日。一月一日。国民の祝日で、年のはじめを祝う。[季]新年。 ★★★★★ ・がんにち ぐわん― 【元日】 〔呉音〕がんじつ。正月一日。 「―、なほおなじとまりなり/土左」   ◆元日   短編小説作品名辞典 作者夏目漱石 収載図書漱石全集 第12巻 小品 出版社岩波書店 刊行年月1994.12 収載図書夢十夜 他二篇 出版社岩波書店 刊行年月2003.4 シリーズ名岩波文庫 収載図書夢十夜 他二篇 出版社岩波書店 刊行年月2007.1 シリーズ名ワイド版岩波文庫   ◆元日(がんじつ)http://p.tl/A0q8 年の最初の日、日付は1月1日(改暦前は旧暦1月1日)。 日本では国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日法律第178号)第2条により年のはじめを祝う日として国民の祝日とされている。 日本以外の国でも祝日となっている国は多い。   ◆   ◆一月一日   短編小説作品名辞典 作者永井荷風 収載図書荷風小説 1 出版社岩波書店 刊行年月1986.5 収載図書あめりか物語 出版社講談社 刊行年月2000.5 シリーズ名講談社文芸文庫   ◆1月1日(いちがつついたち)http://p.tl/U6wW グレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)。又は福寿草。 ◆正月(しょうがつ、しょうがち)http://p.tl/Z-0T 各暦の年初のことである。文化的には旧年が無事に終わった事と新年を祝う行事である。正月飾りをし、正月行事を行ったり正月料理を食べて、盛大に祝う。 日本では、1月1日の元日のみを国民の祝日としているが、実際には少なくとも3日までの三箇日は事実上の祝日と同じ状態となる。   ◆元旦  http://p.tl/zGsm 元日の朝のことを特に元旦(がんたん)、元朝(がんちょう)とも呼び、今でも小学校の書き初めや年賀状などに使われる。 「旦」は「日」と地平線(一)からなる指事文字で、一日のはじめ、朝を表す。「元」も「はじめ」の意味があり、熟語の「元旦」とは本来「一年のはじめ」である「元日の朝」を意味するが、「一年のはじめ」の意味が転じて「元日」そのものを表すようにもなった。国語辞典には「元日(の朝)」と両方の意味を表すように書いてある物もあり、どちらの意味でも誤りとはいえない。「元旦」は元日の何時から何時までを指すといった細かい決まりはもとより存在しない。