2013年3月25日月曜日

●天王様・祇園様

●天王様・祇園様
★スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)http://p.tl/CWGo
日本神話に登場する神である。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。

★牛頭天王(ごずてんのう)http://p.tl/O0H8
日本の神仏習合における神。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。
インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である。
陰陽道では天道神と同一視された。神仏習合では薬師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされた。
現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。

★祇園信仰(ぎおんしんこう)http://p.tl/UJju
牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰である。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となっている。京都の八坂神社もしくは兵庫県の広峯神社を総本社とする。
 
牛頭天王は元々は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされる。ほき内伝の記述が著名である。中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合した。これは牛頭天王もスサノオも行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。本地仏は薬師如来とされた。
 
平安時代に成立した御霊信仰を背景に、行疫神を慰め和ませることで疫病を防ごうとしたのが祇園信仰の原形である。その祭礼を「祇園御霊会(御霊会)」といい、10世紀後半に京の市民によって祇園社(現在の八坂神社)で行われるようになった。祇園御霊会は祇園社の6月の例祭として定着し、天延3年には朝廷の奉幣を受ける祭となった。この祭が後の祇園祭となる。山車や山鉾は行疫神を楽しませるための出し物であり、また、行疫神の厄を分散させるという意味もある。中世までには祇園信仰が全国に広まり、牛頭天王を祀る祇園社あるいは牛頭天王社が作られ、祭列として御霊会(あるいは天王祭)行われるようになった。
 
明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称した。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。その他の神社では、京都にならった八坂神社のほか、祭神の名前から素盞嗚神社・素戔嗚神社、かつての社名から祇園神社、また地名を冠したものや牛頭天王を祀る以前の旧社名などに改称した。
 
牛頭天王・スサノオに対する信仰のうち、津島神社(愛知県津島市)を中心に東海地方に広まった信仰を津島信仰(つしましんこう)と呼ぶ。 同じスサノオに対する信仰には、氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)を中心に関東地方に分布する氷川信仰もあるが、牛頭天王信仰ではなく、祇園信仰とは根本が異なっている。
 
 祇園信仰の神社
京都祇園の八坂神社と本社とする場合は、八坂神社(八阪神社)、弥栄神社、祇園神社、素盞嗚神社(素戔嗚神社)、感神社と称し、播磨の広峯神社を本社とする場合は、広峯神社(広峰神社)と称し、出雲の須佐神社を本社とする場合は、八雲神社と称し、出雲の須我神社を本社とする場合は、須賀神社と称し、愛知の津島神社を本社とする場合は、津島神社、天王神社と称する傾向にある。ただし、例外も多く、強く体系化されているわけではない。津島神社は津島信仰として祇園信仰の中でも独自の位置づけにある。このほか、氷川神社や熊野神社もスサノオを祭神とするが、祇園信仰との関連は非常に薄く、出雲の須佐神社も祇園信仰との関わりは薄い。
八坂神社系統:八坂神社(八阪神社)、弥栄神社、祇園神社、素盞嗚神社(素戔嗚神社)、感神社、彌劔神社(八剣神社)
広峰神社系統:広峯神社(広峰神社)
須佐神社系統:須佐神社、八雲神社
須我神社系統:須賀神社
津島神社系統:津島神社、天王神社
(参考)氷川神社、熊野神社
神社の一覧は各項目を参照。

★天王様 神社名辞典 http://p.tl/qwgL
ここには27社が記載されている。
牛頭(ごず)天王をまつる社。また、その祭。
*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕中「太夫様の願で、福山の天王様へ七日参りをささっしゃります」


★牛頭天王 【ごずてんのう】朝日日本歴史人物事典
本来はインド祇園精舎の守護神だが,わが国では祇園社(京都市東山区の八坂神社)に祭られ,素戔嗚尊(スサノオノミコト)に同一視されている。祇園社は,貞観18(876)年に藤原基経が疫病を鎮めるために牛頭天王を祭って造営したもので,その祭礼は祇園祭として有名。仏教の牛頭天王がスサノオと習合したのは,牛頭天王が道教系の武塔神と同一視されていたためで,この武塔神は『備後国風土記』によれば,蘇民将来に一夜の宿を借り,その礼として疫病を免れる茅の輪を与えて「自分はスサノオノミコトである」と名乗ったという。人々は疫病を恐れ,その祟りを鎮める魔除けの神として牛頭天王(スサノオノミコト)に対する信仰が広まった。
(西條勉)
京都祇園社(八坂神社)の祭神で,本来は祇園精舎の守護神とされるが,日本では行疫神として流布しており,各種の教説がある。たとえば《備後国風土記》では,牛頭天王を武塔神とも呼び素戔嗚(すさのお)尊と同一視し,有名な蘇民将来(そみんしようらい)の説話を伝え,《伊呂波字類抄》では,天竺の北方九相国の王で,沙渇羅竜王の娘と結婚して八王子を生み,8万4654の眷属神をもつとする。また陰陽道の教典の一つである《簠簋(ほき)内伝》では天刑(てんけい)星,吉祥天の王舎城大王,商貴帝,牛頭天王を同一としている。祇園祭は牛頭天王をまつって疫病をしずめる年中行事。武塔(むとう)天神,祇園天神ともいう。
(世界大百科事典)

★世界大百科事典内の牛頭天王の言及.
【祇園信仰】より
…疫病を鎮める強い力をもつ疫病神として牛頭天王(ごずてんのう)をまつり,消厄除災を祈願する信仰。牛頭天王については天竺(てんじく)(インド)の祇園精舎(ぎおんしようじや)の守護神とする説をはじめ諸説があるが,要するに疫病流行など不慮の災厄にさいなまれつづけた古代の人々が,既往の信仰・伝説とも結び合わせながら信仰の対象として育成した神格である。…
【津島神社】より
…建速須佐之男(たけはやすさのお)命を主神とし大穴牟遅(おおなむち)命を配祀。古くは牛頭天王(ごずてんのう)といわれ,俗に天王さんと称す。全国の津島神社の総本社。…
【天王信仰】より
…牛頭天王(こずてんのう)に対する信仰。《簠簋(ほき)内伝》によると天界にあった天刑星が,地上に降りて,牛頭天王と名のり,南海に赴く。…
【広峰神社】より
…兵庫県姫路市北部の広峰山上に鎮座する。素盞嗚(すさのお)尊,五十猛(いそたける)命を主祭神とし,もと広峰牛頭天王(ごずてんのう)社といわれた。《日本三代実録》貞観8年(866)7月条に,〈播磨国無位速素戔烏神。…

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