2014年8月8日金曜日
●和紙
●和紙
◆わ し 【和紙】
日本古来の製法による紙。コウゾ・ミツマタ・ガンピなどの靭皮繊維を原料として,手漉(す)きによって作られる。鳥の子・奉書紙・檀紙など。強く,吸湿性に富み,工芸用にも使用される。わがみ。 ↔ 洋紙
◆和紙 紙器関係専門用語辞典
日本独特の紙であり「雁皮」(がんぴ)などの長繊維である「靱皮」(じんぴ)の繊維、「トロロアオイ」の根や「ノリウツギ」の樹皮などを原材料に手漉きにより作製される紙。
現在では古紙・パルプなどを材料に、大量生産に適す抄紙機による機械漉きでも作製されている。
和紙の場合、その原料は洋紙の原料である広葉樹に比べると数倍の長さを持つ「靭皮繊維」。その非常に長い繊維を薬品などを殆ど使わずに複雑に絡み合わせて漉きあげ作製される和紙。この「原料」、「構造」、「作製方法」の違いにより、洋紙の寿命約100年に対し、和紙は約千年以上もの耐久性を持っている。
◆和紙 照明大辞典
樹木の繊維を溶液に溶かした物を、目の細かな布を通し漉された繊維を天日で乾燥させた物 。
◆和紙 リフォーム用語集
日本古来の紙、日本製の紙の事。日本紙ともいう。繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長い。和室などの建具にも使用されており、近年は天然自然の素材として、インテリア向けの需要も高まっている。
◆和紙(わし/わがみ)http://bit.ly/1r4QPK9
日本古来の紙。欧米から伝わった洋紙(西洋紙)に対して日本製の紙のことをさす。日本紙と同義。
◆明かり障子 http://bit.ly/1vjU72O
明かり障子の優れている点は、壁や遣戸のように外界とは遮断せずに、外界の雰囲気を光と影で取り入れて、住人に自然の暖かみを与えている事である。遣戸は、開閉自在ながら、閉めると室内が暗くなり、冬には、寒くとも採光のために、遣戸を少し開けておかねばならず、明かり障子の発明が求められていた。
まず、明かり障子は遣戸の杉板の代わりに格子状の木枠に薄絹を張ることで採光を行っていたことが、『平家納経』の図録に見られ、その後、徐々に細い組子桟の今日的な明かり障子へと進化し、文書を日光消毒する際などに四面に立てて使用されていた(『江談抄』)。
しかし、明かり障子は風雨の激しい時には、障子の下の部分が濡れて破れ易いため、その際には半蔀戸を釣って内側に明かり障子を立て、下半分の蔀戸は立て込んだまま使用していた。こうした状況から、明かり障子の下半分に板を張った半蔀戸と同じ高さの腰板付きの障子が考案された。
鎌倉時代以降、書院造の普及につれて、明かり障子も普及し、『大乗院寺社雑事記』には、障子用として厚紙130枚を使用したという記録があり、歳末に障子紙を張り替える風習は、この時代からあったようである。
採光を目的とする明かり障子には、透光性が良い薄い紙が適切なのであるが、破れ難い粘り強さも必要となり、また、大量に使用するため、安価な物が好まれた。このような条件を満たす紙としては、壇紙や奉書紙、雁皮紙は不適当であり、明かり障子用の書院紙として雑紙や中折紙などの文書草案用や雑用の紙が採用され、中でも美濃和紙は美濃雑紙と呼ばれて、多用途の紙として最も多く流通していたので、障子紙としても使用され、美濃和紙が明かり障子紙の代表紙となった。
◆紙座の成立 -室町時代-
紙屋院の廃絶以後、和紙の生産は地方の生産地に舞台を移していくことになる。この頃には和紙の生産・流通を扱う業者による紙座(かみざ)が形成されて生産・流通を支配していった。紙座は本来は紙を生産して公家や寺社(本所)に納入することで奉仕する供御人・神人などの集団であったが、後に本所の保護を受けて一般の生産・流通にも関与するようになったのである。彼らは本所に商品や座役を納める代わりに営業や身分保障を受けた。代表的な紙座に元の紙屋院の職人達が蔵人所を本所として結成した宿紙上座と新規業者による宿紙下座から構成される宿紙上下座(しゅくしかみしもざ)や奈良南市の紙座、六波羅蜜寺を本所とした紙漉座、美濃大矢田や近江小谷などの産紙の販売権を独占した近江枝村商人(枝村紙座)などが著名である。
だが、この時代に入っても和紙が貴重品であったことは、近衛家の財務内容を記した目録である『雑事要録』から知ることが可能である。長享3年(1489年)に八朔に用いるために引合紙5束を190疋(1900文)、杉原紙8束を2貫100文(2100文)で買ったことが記されている。ところが、同年春に近衛邸の浴室を新造したときの職人の日当が平均110文であった。つまり、杉原紙1束を買うのに職人2日半分の日当を必要としたのである。こうした事情が、上級公家であっても宿紙や紙背文書を用いた背景にあったと考えられている。
戦国時代に入ると、領国内に文書による支配体制を成立させた戦国大名が出現する。戦国大名は文書料紙の確保のため和紙の生産を奨励していたと考えられており、甲斐の武田信玄が楮・三椏の生産を奨励した逸話は良く知られている。だが、こうした戦国大名の政策は紙座の方針と対立するようになり、織田信長・豊臣秀吉らが推し進めた楽市楽座によって紙座の特権は否定されるようになり、紙商人の御用商人化や生産業者に対する支配強化が進められることになった。
◆1500年の長い歴史を誇る越前和紙の魅力をお届けします。:http://www.washi.jp/
◆越前和紙の里 http://www.echizenwashi.jp/
越前和紙の体験が出来るパピルス館、工芸士の手わざを見ることができる卯立の工芸館、越前和紙の発祥や歴史などを展示する紙の文化博物館など、様々な越前和紙 にまつわる体験、ご見学をお楽しみいただけます。
◆和紙 【わし】 日本文化いろは事典の解説.
日本古来の製法による紙を和紙と呼びます。和紙は手漉〔す〕きによって作られているため、非常に強く吸湿性に富み、書画のみならず工芸用にも使用されてい ます。また、伝統によって受け継がれた各地の特徴ある和紙は、その質や柄などの素晴らしさから日本を越え世界中で認められ、愛され続けています。また、和紙は原料別に「楮紙〔こうぞし〕」「三椏紙〔みつまたし〕」「雁皮紙〔がんぴし〕」の三種類に分けられます。この三種類を基盤に、産地や製造法によって様々な種類の和紙が生み出されています。
◆わし【和紙】 世界大百科事典
〈わがみ〉ともいう。洋紙に対照する名称で,日本で漉(す)かれた手漉きの紙をいうが,現状では手漉紙を模倣した機械漉きの和紙を含めて用いられる場合もある。
[特色]
現在,植物の繊維をおもな原料として,手づくりで紙を作る技術は,日本以外のアジア(中国,朝鮮,台湾,インド,ネパール,ブータン,タイなど)やヨーロッパ(イタリア,フランス,イギリスなど),あるいは近年,新しい手づくり運動の一環として紙漉きが盛んなアメリカなど,なお数多くの国々で行われている。
◆わし【和紙】 ブリタニカ国際大百科事典
洋紙に対する語で,日本古来の製法による手すき紙をいう。さらにそれに風合いの似た機械ずき紙を含めることもある。日本の製紙法は7世紀初期に中国から朝鮮を経て伝来したといわれているが,その後「ねり」や,ノリウツギの樹皮からとれる粘液を利用する独自の技術を完成していき,江戸時代には土佐,美濃,越前など全国各地で,それぞれ特色あるものがつくられるようになった。
◆わ‐し 【和紙】
ミツマタ・コウゾ・ガンピなどの靭皮(じんぴ)繊維を原料として、手漉(す)きで作る日本古来の紙。強靭で変質しにくく、墨書きに適する。美濃紙・鳥の子紙・奉書紙など。俗には、和紙に似せてパルプ・マニラ麻などを機械で漉いた洋紙も含めていうことがある。日本紙。わがみ。⇔洋紙。
◆書名別項。→和紙
◆和紙 【わし】 百科事典マイペディア
日本古来の独特の手法で作られた紙の総称で,洋紙に対する語。中国で発明された紙の製法は,7世紀の初めに高句麗(朝鮮)の僧曇徴(どんちょう)により日本に伝えられたといわれるが,それ以前に製紙技術が伝来していた可能性もある。
◆和紙 【わし】 リフォーム用語集
日本古来の紙、日本製の紙の事。日本紙ともいう。繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長い。和室などの建具にも使用されており、近年は天然自然の素材として、インテリア向けの需要も高まっている。
◆世界大百科事典内の和紙の言及.
【サイジング】より
…前者を内面サイジングまたはエンジンサイジング,後者を表面サイジングまたはタブサイジングと呼ぶ。
[内面サイジング]
和紙ではトロロアオイの根から抽出した〈ねり〉を加えて抄紙するので,それが部分的にサイズの役割を果たしている。それでもとくにサイジングを必要とするときは〈にかわ〉も用いられる。…
【包み】より
…《今川大双紙》は室町時代の初期に今川貞世(さだよ)(了俊(りようしゆん))が著した武家故実の書であり,たとえば金(かね)の包み方として,所柄や季節に応じた包み方,材料およびその色合いの選び方などについて述べている。 室町時代までは,〈包み〉の礼法は将軍家を中心とする上流階層にしか行われなかったが,江戸時代中期になると和紙が全国各地で大量に生産されるようになり,武士に限らず一般庶民の間でも広く用いられるようになった。先に述べた伊勢氏の中興の祖といわれる伊勢貞丈(さだたけ)(安斎)は江戸中期,宝暦年間に《包結図説(ほうけつずせつ)》を著したが,これは〈包の部〉と〈結の部〉の2部からなり,その前者において,包む中味や用途に従った各種の礼法が定められた。…
【版画】より
…現存するヨーロッパ最古の版画は14世紀の第4四半期のものである。紙が今日のようにパルプを原料とするようになるのは18世紀のことであるが,日本のコウゾ,ミツマタなどでつくられた和紙は上質で,鎖国時代にも輸出され,レンブラントその他も版画に用いている。紙以前から用いられた台材としては布地,革(羊,子牛),板などがあり,ことに布は正倉院の交纈(こうけち),夾纈(きようけち),﨟纈(ろうけち)の染布をはじめとして,プリント染としても日常化されている。…
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